武力に頼らない、平和への貢献を考える
平和ってそもそもなんだろう?
個人的には前にも引用した、エリア88の台詞が腑に落ちて気に入っている。
安全と平和は意味が違う。
日本以外のすべての国が血まみれになっていようが、日本が絶対にそれに巻き込まれない状態・・・それが安全だ・・!!
平和というものは、日本を含むすべて・・少なくとも地球上であらゆる争い事が起きないことを言う。
この定義でいけば、今議論されている安保法制はまさしくその名の通り、「安全」のためのものであって「平和」のためのものではない。
もちろん、安全の確保も重要だ。
相手が剣を振るってきたときに、防ぐための盾も、打ち返すための剣も必要だ。
今現在の世界情勢を考えるに、それを完全に否定するつもりはない。
問題なのはどこまでが正当防衛で、どこからが過剰防衛なのか、だ。
戦争に正義はない・・・というか、個々の正義のぶつかり合い、というべきか。
それぞれが自国の安全を、繁栄を考えた結果、譲れない一線を越えたら戦争になる。
その「一線」をどこに設定するのか?
先に手を出されたら?
相手が剣を準備しはじめたら?
先日の安倍首相のたとえ話を借りれば、友達が殴られたら?
あるいは友達が殴られそうだったら?
世界が助け合っているときに日本がわれ関せずという態度を取ることは、すなわち日本人の命と財産を守る負担は他の国に押しつけるということを意味します。
安保法制の公聴会で言われた言葉らしい。
言っていることは正しいと思うが、日本が取るべき態度が、共に剣を振るうことなのかどうか?
剣を振るうことはとりあえずその場その時の「安全」を確保すること。
日本自体に向けて剣が振り下ろされているのであれば安全確保が最優先だ。
それが地球の裏側で起こっているとすれば「平和」を目指した活動をすることは「我関せず」ではないはずだ。
もちろん難しい、大変なことで、どうすればいいのかよく分からない。
でも、答えの一つはこれであると思う。
大竹まこと ゴールデンラジオ 水曜日 ゲスト:鎌田實 【2015.07.15】 - YouTube
59分頃から鎌田さんの話になる。
宮沢賢治の有名な言葉。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
相田みつをの有名な詩、「わけ合えば」。
うばい合えば足らぬ
わけ合えばあまる
うばい合えばあらそい
わけ合えばやすらぎうばい合えばにくしみ
わけ合えばよろこび
うばい合えば不満
わけ合えば感謝うばい合えば戦争
わけ合えば平和
うばい合えば地獄
わけ合えば極楽
今のところ、残念ながら「安全」確保のための武力は必要だ。
でもそれは「平和」の実現を望んではいけない、という意味ではない。
「平和」への努力を怠ってはならない、と思う。